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戦没者等の遺留品の返還事業 持ち主遺族を探しています

2021年10月08日

日章旗等返還の取組み

日本遺族会は、平成30年度から厚生労働省の委託を受け「戦没者等の遺留品の返還に伴う調査一式」事業を実施しており、これまで日章旗等の多くの遺品を遺族へ返還している。

今回、都内在住の米国人から特攻隊員の写真等の遺留品を遺族へ返還したいとの申し出があり、持ち主遺族の情報を求めている。

これまでの本会の調査では、写真の兵士は、「第三神風特攻隊春日隊」に所属し、昭和19年11月27日にフィリピン・レイテ湾内(スリガオ海峡)で戦死した9人の特攻隊員の一人の可能性がある。9人の隊員の出身は神奈川県、茨城県、新潟県、愛知県、京都府、愛媛県、福岡県、鹿児島県であることも判明しており、該当する支部へも遺族の捜索を依頼している。

遺留品は、スナップ写真6枚、写真館で撮影した肖像写真1枚、紙幣などがあり、兵士が所有していたと思われる財布に入れられていた。

写真の兵士に心当たりのある方は、本会事務局(℡03-3261-5521)まで情報を寄せていただきたい。

スライド1スライド4スライド2スライド5スライド3春日隊写真

新潟県で日章旗返還

2021年09月02日

日章旗等返還の取組み

「戦没者等の遺留品返還に伴う調査」事業で、OBONソサエティから本会に照会があった日章旗が新潟県妙高市出身で、昭和20年6月15日、沖縄で戦死した古川學さんのものであることが判明し、遺族に返還された。

日章旗は、米国テキサス州在住のデボラ・フォレットさんが元米兵の父親から譲り受け大切に保管されていたもので、新潟県連合遺族会、妙高市遺族会の捜索により遺族の所在が分かった。

6月30日、妙高市出身の戦没者を追悼する戦没者追悼法要が新井別院で営まれ、行政関係者や市遺族会役員ら約40人が参列。その席上で、入村昭市長から遺族の古川行雄さんへ日章旗が引き渡された。日章旗を受け取った行雄さんは「返還されるという話を聞いたときは本当に驚いた。古川家の家宝として大切に保管したい」と話した。スライド3

 

戦没者等の遺留品返還事業 秋田県で日章旗が遺族のもとへ

2021年09月02日

日章旗等返還の取組み

本会が厚生労働省の委託を受け実施している「戦没者等の遺留品返還に伴う調査」事業で、戦没者の遺品の返還運動を推進しているOBONソサエティから本会に照会があった日章旗が秋田県で遺族に返還された。

日章旗は、米国テネシー州のテネシー大学にあるマクラング自然史文化博物館で保管されていたもので、秋田県遺族連合会が調査した結果、昭和20年にフィリピンのルソン島で戦死した鹿角市出身の成田勇四郎さんのものと判明した。

この日章旗は、戦時中にルソン島のバタンガス州で米国陸軍第6軍のワイリー・C・スミス大尉が入手し、1945年5月2日にテネシー大学へ寄贈された。今回、OBONソサエティの取り組みを知った大学側が遺族への返還を希望し、76年の歳月を経て遺族の元へ届けられた。

秋田県②

6月10日に、鹿角市十和田市民センターで返還式が行われ、鹿角市遺族連合会の大里亜樹男会長から、勇四郎さんの甥の妻・成田勝代さんと姪の杉本正子さんに引き渡された。日章旗には、テネシー大学から遺族に対し、「大切な人を失うのは、いつの時代にも辛いものです。この寄せ書き日の丸返還が、成田様のご親族の皆様の悲しみを和らげるものになるよう願っています」と書かれた手紙が大学の記念品とともに添えられていた。

秋田県

戦没者等の遺留品返還事業 岩手県で日章旗返還

2021年05月17日

日章旗等返還の取組み

本会が厚生労働省の委託を受け実施している「戦没者等の遺留品返還に伴う調査」事業で、戦没者の遺品の返還運動を推進しているOBONソサエティから本会に照会があった日章旗が岩手県で遺族に返還された。

岩手県返還

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遺留品返還事業 長崎県で兵士の肖像写真が返還

2021年05月17日

日章旗等返還の取組み

本会が厚生労働省から委託を受け、「戦没者等の遺留品返還に伴う調査」事業で、佐賀県遺族会から捜索を依頼された海軍兵士の肖像写真が、長崎県で遺族が判明し返還された。

長崎県では、肖像写真がグアム島で戦死した長崎市出身の間瀬仙太郎さんであると判明した。

間瀬仙太郎氏の肖像写真

間瀬仙太郎氏の肖像写真

今回の調査では、長崎県連合遺族会会長の山下裕子会長が遺族捜しに奔走。山下会長の父茂樹氏は佐世保海兵団で砲術を指導する教班長だった。山下さん宅にある父の教え子の写真が構図的に間瀬さんと同じ写真館で撮影されたものとみられ、親近感を覚えたという。遺族捜しの際、手掛かりは間瀬さんの本籍が本大工町(現・魚の町)で、あとは写真の裏に記された南山手町の住所、父親の名前だけであったが、「寺町付近に間瀬家の墓がある」との情報をつかみ、12月、寺町の延命寺の一画に間瀬家の墓を確認した。

住職によると遺族は既に他界していたが、間瀬さんに父親と親しくしていた男性がいたと分かり、その孫の山口喜三さんに縁故者として写真の受け取りを依頼したところ、供養になればと快諾された。

3月19日、山下会長と山口さんは延命寺を訪れ、法要後、間瀬家の墓に写真を飾り献花。写真は城栄町の県護国神社で、山口さんに手渡された。連合遺族会女性部員らは「仙太郎くんお帰りなさい」と記した横断幕を掲げて、笑顔で出迎え、山口さんは「間瀬さんは私たちに平和の尊さを教えてくれた。写真を大切にしたい」と話した。

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