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硫黄島遺骨収集派遣(第2回) 19柱を収容

2020年11月25日

お知らせ, 遺骨収集帰還事業

日本戦没者遺骨収集推進協会(JARRWC)主催による硫黄島戦没者遺骨収集派遣団(第2回派遣)が9月2日から10月7日の期間で派遣され本会からは3人が参加協力し、硫黄島の壕等で収集作業に従事し、十九柱を収容した。今回も新型コロナウイルス感染症拡大防止に伴うPCR検査を受け陰性反応者の派遣となった。

派遣団は、23日早朝航空自衛隊機で入間基地入りし、今年1月から8月派遣の継続となる島北部の天山慰霊碑の下部付近の地表面や壕、為八海岸上部の地表面や豪等、重機を使用するなどしてご遺骨や遺留品を掘削しながら作業を進め、天山付近から16柱と為八海岸付近から3柱の計19柱を収容した。

収容された19柱は硫黄島内の厚生労働省事務所棟に仮安置された。

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また、今回収容されたご遺骨は今後11月予定(第3回収集)と年明けの1月予定の(第4回収集)最終派遣時に東京・千鳥ヶ淵戦没者墓苑で遺骨引渡し式が行われ戦没者遺族多数参列のもと厚生労働省職員に引渡され同省霊安室に仮安置される。

先の大戦の激戦地として知られる小笠原諸島の硫黄島における米軍上陸時の日本軍の兵力は、小笠原集団長(栗林陸軍中将)をはじめ陸軍約1万3千5百人、海軍約7千7百人が配備していた。日本軍は、艦砲射撃や爆撃を避け、戦力を温存して長期にわたる困難な持久作戦を遂行するため、地形を利用して数百個の地下壕を構築、その延長は約18キロに達した。

昭和20年2月16日、米軍は硫黄島沖に集結した六艦隊による艦砲射撃やB‐29の大編隊による空爆を開始。その熾烈さは山容が改まるほどであった。2月19日、米軍は上陸用船艇約百三十隻で本島東南海岸に上陸を開始。小笠原集団は水際陣地部隊と砲兵火力をもって果敢な反撃を加えたが、優勢な米軍の火力に圧倒され死傷者は続出した。

3月17日決別電打電後、3月25日総攻撃、約1ヵ月間にわたる戦闘の末、日本軍約2万1千9百人が戦死、玉砕した。米軍も約6千8百人が戦死した。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑で秋季慰霊祭を挙行 秋篠宮皇嗣同妃両殿下ご臨席

2020年11月25日

お知らせ

 東京・千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑で10月19日、秋雨の降る中、秋篠宮皇嗣同妃両殿下のご臨席を仰ぎ、秋季慰霊祭が厳粛に執り行われた。今年はコロナウイルス感染防止の観点から規模を縮小し行われ、全国の遺族代表、同墓苑奉仕会会員、陸海空自衛隊、在日駐在官などが参列し戦没者の冥福を祈った。

 秋季慰霊祭は、午後1時、秋篠宮皇嗣同妃両殿下御臨場で挙行された。日本遺族会を代表して水落敏栄会長が参列した。

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開式の辞に次いで、国歌斉唱は行わず、海上自衛隊東京音楽隊による吹奏が行われ、献茶の儀、津島雄二奉仕会会長式辞、昭和天皇御製奉誦、上皇陛下御製奉誦、童謡唱歌奉唱では音羽ゆりかご会による「海ゆかば」「里の秋」「みかんの花咲く丘」の3曲が奉唱され奉納行事が行なわれた。

内閣総理大臣による追悼の辞(代理代読)に引き続き、参列者一同が起立するなか、秋篠宮皇嗣同妃両殿下が墓前に進まれご英霊に対し深々と御拝礼、両殿下に合わせ参列者一同が拝礼し黙祷を捧げた。

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秋篠宮皇嗣同妃両殿下が御退場の後、陸上、海上、航空の各自衛隊が一体化した統合部隊による拝礼、水落本会会長をはじめ来賓の献花が行われ、代表遺族や一般参列者の献花と続き、午後2時式典は終了した。

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千鳥ヶ淵戦没者墓苑

 先の大戦で亡くなられた戦没者のご遺骨を納めるため、昭和三十四年日本国政府により建立された。昭和二十八年以降政府派遣団が遺骨収集したもの、戦後海外から帰還した部隊や個人が持ち帰ったもの及び海外において犠牲となった一般邦人も含まれている。いずれも遺族に引き渡すことのできなかったご遺骨で、現在三十七万六十九柱が納骨されている。

戦没者遺留品返還事業 岐阜県、兵庫県で日章旗返還

2020年11月25日

お知らせ, 日章旗等返還の取組み

本会が厚生労働省の委託を受け実施している「戦没者遺留品の返還に伴う調査」事業で、戦没者の遺品の返還運動を推進しているOBONソサエティから本会に照会があった日章旗が、岐阜県、兵庫県でそれぞれ遺族に返還された。

岐阜県では、米国カルフォルニア州在住の米国人フランク・ムーアさんとシャロン・ムーアさんが元米兵の父親が戦地から持ち帰り大切に保管されていたのを譲り受けた日章旗が、フィリピンで戦死した岐阜県揖斐川町出身の髙崎正さんのものであることが判明した。10月5日、同町三輪の三輪神社で戦没者追悼式典に合わせて返還式が行われ、富田和弘町長から、従姪の髙崎ひろみさんと夫の武記さんに日章旗が返還された。2人は式典の出席者らと共に旗を広げ、書き込まれた名前をじっくりと確かめていた。

武記さんは「旗に署名してくれた人と、これを持って戦争へ行った正さんはどんな気持ちだっただろうか。今の時代に生まれた僕には全然分からず、言葉がない。大切に保管して子どもたちに伝えていきたい」と声を震わせて決意を語った。

兵庫県では、米国アリゾナ州在住の米国人マイケル・マークランドさんが、元米兵の父親が戦地から持ち帰られたのを譲り受け大切に保管されていた日章旗が、フィリピンで戦死した兵庫県姫路市出身の岡本朝夫さんのものであることが判明し、10月26日に姫路護国神社にて兵庫県遺族会姫路支部長の三木英一支部長と泉和慶宮司立ち合いのもと、甥の岡本明さんに返還された。

朝夫さんは8人兄弟で、その末っ子が明さんの父にあたり、明さんは「亡くなった父から海軍の真っ白な制服を着たおじの話を聞いたことがある。皆さんの思いやりで遺品が帰ってきてありがたい。父が生きている間に見せてやりたかった」と話した。

日章旗を受け取る甥の岡本明さん(左)

日章旗を受け取る甥の岡本明さん(左)

兵庫県②

 

戦没者遺留品の返還 青森県、岩手県、愛知県、島根県で

2020年10月08日

お知らせ, 日章旗等返還の取組み

本会が厚生労働省の委託を受け実施している「戦没者遺留品の返還に伴う調査」事業で、戦没者の遺品の返還運動を推進しているOBONソサエティから本会に照会があった日章旗が、青森県、岩手県、愛知県、島根県でそれぞれ遺族に返還された。

 

青森県では、米国ロードアイランド州の元陸軍兵士が持ち帰った日章旗が、五戸町出身フィリピン・ミンダナオ島で戦死した、久保田松三郎さんのものと分かり、青森県遺族連合会の調査で遺族が判明した。7月22日、五戸町役場で、久保田さんの甥にあたる久保田松雄さんに若宮佳一町長から日章旗が引き渡された。松雄さんは「七十五年もたって、こんなきれいな状態で届けられるとは驚いた」と感慨深げに話した。

 

岩手県では、米国ミシガン州の元米兵が戦地から持ち帰り、近隣住民が譲り受けて保管していた日章旗が、陸前高田市出身の神原寅雄さんの長女の津恵子さんに返還された。唯一の形見だった寅雄さんの写真を火災で焼失し、東日本大震災の津波でも自宅を被災するなど苦難の人生を歩んできた津恵子さんは、「うれしいような悲しいような複雑な気持ち。心の中で続いてきた戦争は、これで一つの区切りになると思う」と帰って来た日章旗を手にし、涙ぐんだ。

 

陸前高田市遺族会高田支部の皆さんへ日章旗を披露する津恵子さん(右端)

陸前高田市遺族会高田支部の皆さんへ日章旗を披露する津恵子さん(右端)

 

愛知県では、愛知県犬山市出身で、フィリピン・レイテ島で戦死した和泉則男さんの日章旗が判明し、則男さんの兄の孫にあたる敬也さんに、八月四日、犬山市役所で山田拓郎市長が立ち合い、県連合会の柴田義継会長、市遺族連合会の小嶋毅会長から敬也さんに返還された。敬也さんの母芳子さんは「すごくありがたい。舅からはすごく頭のいい秀才だったと聞いていた」と感慨深げに語った。

8月4日、犬山市役所での返還式

8月4日、犬山市役所での返還式

 

島根県では、フィリピン・ルソン島で戦死した松江市乃白町出身の細田仙次郎さんのアルバムが、7月15日、島根県松江合同庁舎で行われた伝達式で、仙次郎さんの長男の善男さんに引き渡された。伝達式には、遺族五人が出席し、善男さんは「おふくろも話してくれなかったので、おやじの思い出はほとんど分からない」としながらも、写真1枚1枚に見入りながら、朝晩に拝んでいる仙次郎さんの仏壇に「返ってきたよと言いたい」と笑顔で話した。

硫黄島遺骨収集派遣(第1回) 11柱を収容

2020年10月08日

お知らせ, 活動状況, 遺骨収集帰還事業

日本戦没者遺骨収集推進協会(JARRWC)主催による硫黄島戦没者遺骨収集派遣団(第1回派遣)が7月29日から8月12日の期間で派遣され本会からは二人が参加協力を行い、硫黄島の壕等で収集作業に従事し、11柱を収容した。今回は新型コロナウイルス感染症拡大防止に伴うPCR検査を受け陰性反応者の派遣となった。

日本戦没者遺骨収集推進協会主催による硫黄島戦没者遺骨収集派遣団(第1回)は、新型コロナウイルス感染者が減少傾向に向かっていたため当初本会派遣者は6人を予定していた。しかしながら、感染者は7月に入り増加に転じてしまい過去最多を更新する状況となった。このため推進協会は派遣者の規模を1都3県(東京・神奈川・千葉・埼玉)に縮小し、PCR検査を受けて陰性反応者のみとした。これにより本会からの派遣者は2人となった。

派遣団は、前回1月に派遣の継続となる島北部、漂流木海岸と外周道路外側との間にある壕や、地表面を掘削しながら作業を進め、9柱を収容した。

さらに、航空基地庁舎の近傍では、地底レーダー探査で反応があった地表面を掘り下げ、メタンガスが発生する中送風管で空気を送りながら作業を行い、地表面から5メートル下の地中で2柱を収容した。

今回収容された十一柱は、硫黄島内の厚生労働省事務所棟に仮安置された。

送風管で空気を送りながら作業に従事する団員

送風管で空気を送りながら作業に従事する団員

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