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全国戦没者慰霊祭を挙行 終戦75年の節目の年に 

2020年12月16日

お知らせ, 事業の取組み, 会員のページ

11月16日、本会は水落敏栄会長以下副会長、専務理事、常務理事、監事が全国の戦没者遺族を代表して靖国神社に参集し「終戦七十五年全国戦没者慰霊祭」を挙行した。先の大戦で戦没された246万余柱のご英霊に尊崇の誠を捧げ、世界の恒久平和を構築するため、一層精進して行くことを誓った。

先の大戦が終結して75年となる今年、全国の戦没者遺族の代表者に参集願い「終戦七十五年全国戦没者慰霊祭」を執り行うことで準備を進めていた。しかし、新型コロナウイルス感染症の収束の目途が立たないことからやむなく、本会の正副会長らが全国の戦没者遺族を代表して慰霊祭を執り行うこととした。

午前11時、マスクを着用した正副会長他役員らは、靖国神社拝殿の耐震工事により中庭に架設されたテント内に着席し、慰霊祭が開始された。はじめに国歌君が代が流れる中、飛沫防止のため心の中で斉唱。神官による修祓のお祓いを受けたのち、御本殿に昇殿した。献饌の儀の後、斎主が厳かに祝詞を奏上した。

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次に水落会長が祭文を奏上、ご英霊に対し「戦争を知らない世代が社会の大半を占める今日、戦争の風化する一方、世界では紛争が絶えず、悲劇が繰り返されている。戦争の悲惨さ、平和の尊さを後世に語り継ぐという遺族会に課せられた社会的責務を果たすため、戦没者の孫、ひ孫等でつくる『青年部』を平成二十九年三月に結成し、活動を重ねている。現在、新型コロナウイルスが猛威を振るい未曽有の危機に直面している。遺族会活動も思うに任せない日々ですが、恒久平和への歩みを止めることのないよう、出来ることを重ね、粘り強く活動してまいります」と決意を述べた。「祭文」はこちら

昇殿参拝

その後、水落会長が戦没者遺族を代表して玉串を奉奠し、会長に合わせ英霊に冥福を祈り、黙祷を捧げ慰霊祭は無事終了した。

 

日米合同硫黄島戦没者追悼式を挙行 水落敏栄本会会長が献花

2020年11月25日

お知らせ, 会員のページ, 遺骨収集帰還事業

先の大戦の激戦地、硫黄島(東京都小笠原村)で10月24日、硫黄島の戦没者を慰霊し、日米の友好と恒久平和を祈念する、日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式が執り行われた。

式典では、旧日本軍を指揮した栗林忠道中将の孫で新藤義孝元総務相が「全員のご遺骨が故郷にお帰りいただけるよう活動を続けていく」と述べた。米側は「互いに尊重することで命を落とし、傷を負った人々に敬意を表す」と退役軍人代表ノーマン・スミス元海兵隊中将の手紙が読み上げられた。

本会からは、国会議員でつくる硫黄島問題懇話会相談役の水落敏栄本会会長が参列し、献花・献水を行い戦没者に鎮魂の祈りを捧げた。

献花

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また、日米合同の顕彰式に引き続き、日本側参列者は日本国政府が建立した天山の硫黄島戦没者の碑に場所を移し、日本側による硫黄島戦没者慰霊追悼顕彰式を執り行い、ご英霊に感謝の誠を捧げご冥福を祈った。

硫黄島遺骨収集派遣(第2回) 19柱を収容

2020年11月25日

お知らせ, 遺骨収集帰還事業

日本戦没者遺骨収集推進協会(JARRWC)主催による硫黄島戦没者遺骨収集派遣団(第2回派遣)が9月2日から10月7日の期間で派遣され本会からは3人が参加協力し、硫黄島の壕等で収集作業に従事し、十九柱を収容した。今回も新型コロナウイルス感染症拡大防止に伴うPCR検査を受け陰性反応者の派遣となった。

派遣団は、23日早朝航空自衛隊機で入間基地入りし、今年1月から8月派遣の継続となる島北部の天山慰霊碑の下部付近の地表面や壕、為八海岸上部の地表面や豪等、重機を使用するなどしてご遺骨や遺留品を掘削しながら作業を進め、天山付近から16柱と為八海岸付近から3柱の計19柱を収容した。

収容された19柱は硫黄島内の厚生労働省事務所棟に仮安置された。

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また、今回収容されたご遺骨は今後11月予定(第3回収集)と年明けの1月予定の(第4回収集)最終派遣時に東京・千鳥ヶ淵戦没者墓苑で遺骨引渡し式が行われ戦没者遺族多数参列のもと厚生労働省職員に引渡され同省霊安室に仮安置される。

先の大戦の激戦地として知られる小笠原諸島の硫黄島における米軍上陸時の日本軍の兵力は、小笠原集団長(栗林陸軍中将)をはじめ陸軍約1万3千5百人、海軍約7千7百人が配備していた。日本軍は、艦砲射撃や爆撃を避け、戦力を温存して長期にわたる困難な持久作戦を遂行するため、地形を利用して数百個の地下壕を構築、その延長は約18キロに達した。

昭和20年2月16日、米軍は硫黄島沖に集結した六艦隊による艦砲射撃やB‐29の大編隊による空爆を開始。その熾烈さは山容が改まるほどであった。2月19日、米軍は上陸用船艇約百三十隻で本島東南海岸に上陸を開始。小笠原集団は水際陣地部隊と砲兵火力をもって果敢な反撃を加えたが、優勢な米軍の火力に圧倒され死傷者は続出した。

3月17日決別電打電後、3月25日総攻撃、約1ヵ月間にわたる戦闘の末、日本軍約2万1千9百人が戦死、玉砕した。米軍も約6千8百人が戦死した。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑で秋季慰霊祭を挙行 秋篠宮皇嗣同妃両殿下ご臨席

2020年11月25日

お知らせ

 東京・千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑で10月19日、秋雨の降る中、秋篠宮皇嗣同妃両殿下のご臨席を仰ぎ、秋季慰霊祭が厳粛に執り行われた。今年はコロナウイルス感染防止の観点から規模を縮小し行われ、全国の遺族代表、同墓苑奉仕会会員、陸海空自衛隊、在日駐在官などが参列し戦没者の冥福を祈った。

 秋季慰霊祭は、午後1時、秋篠宮皇嗣同妃両殿下御臨場で挙行された。日本遺族会を代表して水落敏栄会長が参列した。

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開式の辞に次いで、国歌斉唱は行わず、海上自衛隊東京音楽隊による吹奏が行われ、献茶の儀、津島雄二奉仕会会長式辞、昭和天皇御製奉誦、上皇陛下御製奉誦、童謡唱歌奉唱では音羽ゆりかご会による「海ゆかば」「里の秋」「みかんの花咲く丘」の3曲が奉唱され奉納行事が行なわれた。

内閣総理大臣による追悼の辞(代理代読)に引き続き、参列者一同が起立するなか、秋篠宮皇嗣同妃両殿下が墓前に進まれご英霊に対し深々と御拝礼、両殿下に合わせ参列者一同が拝礼し黙祷を捧げた。

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秋篠宮皇嗣同妃両殿下が御退場の後、陸上、海上、航空の各自衛隊が一体化した統合部隊による拝礼、水落本会会長をはじめ来賓の献花が行われ、代表遺族や一般参列者の献花と続き、午後2時式典は終了した。

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千鳥ヶ淵戦没者墓苑

 先の大戦で亡くなられた戦没者のご遺骨を納めるため、昭和三十四年日本国政府により建立された。昭和二十八年以降政府派遣団が遺骨収集したもの、戦後海外から帰還した部隊や個人が持ち帰ったもの及び海外において犠牲となった一般邦人も含まれている。いずれも遺族に引き渡すことのできなかったご遺骨で、現在三十七万六十九柱が納骨されている。

戦没者遺留品返還事業 岐阜県、兵庫県で日章旗返還

2020年11月25日

お知らせ, 日章旗等返還の取組み

本会が厚生労働省の委託を受け実施している「戦没者遺留品の返還に伴う調査」事業で、戦没者の遺品の返還運動を推進しているOBONソサエティから本会に照会があった日章旗が、岐阜県、兵庫県でそれぞれ遺族に返還された。

岐阜県では、米国カルフォルニア州在住の米国人フランク・ムーアさんとシャロン・ムーアさんが元米兵の父親が戦地から持ち帰り大切に保管されていたのを譲り受けた日章旗が、フィリピンで戦死した岐阜県揖斐川町出身の髙崎正さんのものであることが判明した。10月5日、同町三輪の三輪神社で戦没者追悼式典に合わせて返還式が行われ、富田和弘町長から、従姪の髙崎ひろみさんと夫の武記さんに日章旗が返還された。2人は式典の出席者らと共に旗を広げ、書き込まれた名前をじっくりと確かめていた。

武記さんは「旗に署名してくれた人と、これを持って戦争へ行った正さんはどんな気持ちだっただろうか。今の時代に生まれた僕には全然分からず、言葉がない。大切に保管して子どもたちに伝えていきたい」と声を震わせて決意を語った。

兵庫県では、米国アリゾナ州在住の米国人マイケル・マークランドさんが、元米兵の父親が戦地から持ち帰られたのを譲り受け大切に保管されていた日章旗が、フィリピンで戦死した兵庫県姫路市出身の岡本朝夫さんのものであることが判明し、10月26日に姫路護国神社にて兵庫県遺族会姫路支部長の三木英一支部長と泉和慶宮司立ち合いのもと、甥の岡本明さんに返還された。

朝夫さんは8人兄弟で、その末っ子が明さんの父にあたり、明さんは「亡くなった父から海軍の真っ白な制服を着たおじの話を聞いたことがある。皆さんの思いやりで遺品が帰ってきてありがたい。父が生きている間に見せてやりたかった」と話した。

日章旗を受け取る甥の岡本明さん(左)

日章旗を受け取る甥の岡本明さん(左)

兵庫県②

 

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