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海外未送還遺骨情報収集事業

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平成28年度海外未送還遺骨情報収集事業実施状況

2016年12月29日

活動情報, 海外未送還遺骨情報収集事業

ビスマーク・ソロモン諸島地域

【第5次派遣】

日本遺族会は、厚生労働省の委託事業である海外未送還遺骨情報収集事業のビスマーク・ソロモン諸島地域で、平成28年度第五5次調査団2人をパプアニューギニアのブーゲンビル島へ派遣し、3月4日から18日の期間、残存遺骨に関する調査を実施した。

首都ポートモレスビーからブカ島に到着した調査団は、車両を借上げ、ブーゲンビル島に入り、調査を開始した。初めにアラワに滞在し、昨年七月の調査で未踏査だったカイノ村を訪れ、日本軍の埋葬地と伝えられている場所を視察したほか、アミオン村で現地住民の情報に基づき二か所で試掘を行ったが、遺骨の発見には至らなかった。

その後、調査団は、南部のブインに滞在し、ブイン地区、シワイ地区、バナ地区で、特に戦闘が激しかったエレベンタ、ミオ川、ホンゴライ川、プリアカ川周辺の村々で住民に事業を周知し、情報の提供を呼びかけた結果、モシゲタ、ママガタ、マイカ等で16柱を確認し受領した。

また、厚生労働省が豪州軍戦争記念館で資料調査して得た埋葬地情報に基づき、現地住民の案内でプリアカ川近くのスレ―ターズノール(豪州台)を踏査した。さらに過去に遺族から本会へ寄せられた情報を基に、バインの戦闘で戦死した遺骨が埋葬されている場所(バイン三叉路)を確認した。資料によるとスレ―ターズノールには311体、バインには112体が埋葬されており、今後いずれの埋葬地も試掘の許可等について地権者と交渉し、早急に遺骨の収容に努めなければならない。

日本兵の遺骨112柱が埋葬されているとされるバイン三叉路

日本兵の遺骨112柱が埋葬されているとされるバイン三叉路

 

【第4次派遣】

日本遺族会は、厚生労働省の委託事業である海外未送還遺骨情報収集事業のビスマーク・ソロモン諸島地域で、平成28年度第4次調査団2人をパプアニューギニアのニューアイルランド州へ派遣し、2月4日から18日の期間、残存遺骨に関する調査を実施した。

首都ポートモレスビーを経由してニューアイルランド州カビエンに到着した調査団は、昨年9月に調査したパナカイス村を再度訪問し、前回収容して村の公民館に安置した遺骨の保管状況を確認するとともに、現地住民の協力を得て、埋葬場所(浸食され海水に浸かっている)からさらに遺骨を収容したが、同行した国立博物館員は、サンゴが付着してサンゴへと変質している可能性がある遺骨が多く含まれており、最終的に遺骨として判定するには科学的な検証を必要とするとした。

カビエンからリヒル島へと移動した調査団は、ボートで約3時間かけてボアン島へ向かい、日本大使館へ寄せられた遺骨情報について調査した。日本軍が駐留していたタオンシップ村では、村に代々伝わる話に基づき、日本兵が埋葬されている共同墓地を試掘し、1柱を収容した。また、スンキン村では、豪州軍に射殺された三人の日本兵を埋葬した墓地が津波で流され、残った数本の遺骨を集めて埋め直した場所に建てられた慰霊碑を視察し、保管されていた遺骨を受領した。

マサヘット島で六柱受領

最後に訪れたマサヘット島マタトクエン村には、在パプアニューギニア日本国大使館から嶋野進一等書記官が同行し、調査に立ち会った。平成26年3月の調査で、島に墜落した軍用機から収容した日本兵6人の遺体を村の墓地に埋葬したという情報を確認したが、村の風習に則った儀式を必ず開いたうえで遺骨を引き渡すという条件が提示され、村側と協議し調整を進めていた。今回村側の了解が得られ、遺骨を収容し、豚を六頭捧げる儀式を執り行い、村の主催で遺骨引渡しのセレモニーが催され、無事遺骨6柱を受領した。

 

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収容した遺骨を洗い柱数を確認する=2月15日、マサヘット島で

 

【第3次派遣】

日本遺族会は、厚生労働省の委託事業である海外未送還遺骨情報収集事業のビスマーク・ソロモン諸島地域第次調査団をソロモン諸島へ派遣し、残存遺骨に関する調査を実施した。

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現地住民の協力を得てマサマサ島の埋葬地で遺骨を収容=11月24日

ビスマーク・ソロモン諸島地域第三次派遣団調査員二人は、11月19日から12月3日まで、ソロモン諸島のピエズ島、マサマサ島、ガダルカナル島を調査した。

初めに調査団は、ソロモン諸島共和国の首都ホニアラから航空機でチョイセル島に移動し、チョイセル島からボートでファウロ島へと到着。今年二月の調査と同じくファウロ島のカリキ村に民泊して、戦後日本兵が捕虜として収容され劣悪な環境でマラリアなどにより多くが亡くなったピエズ島、マサマサ島の埋葬地を捜索した。

今回もカリキ村の住民に協力を要請し、住民総勢五十人余りが二つの島に分かれて四日間に渡り収容作業に従事してくれた。戦後七十年以上が経過した高温多湿のジャングルの中は、木々が成長し、根が地中に張り巡らされているため、作業は困難を極めたが、海軍関係の水筒蓋、ボタンまた、ガダルカナル島では、バラナ村の現地協力者に依頼し、第二師団機動経路(丸山道)のルンガ河渡河点タンブレロ、アスタエ、マタニカウ河流域のラエ等で収容した遺骨十四柱を確認し、受領した。、硬貨等の遺留品とともに、ピエズ島で二十九柱、マサマサ島で十二柱を発見し、収容した。

【ピエズ島、マサマサ島でご遺骨とともに見つかった遺留品】

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【第1次及び第2次派遣】

日本遺族会は、厚生労働省の委託事業である海外未送還遺骨情報収集事業のビスマーク・ソロモン諸島地域第1次及び第2次調査団をパプアニューギニアへ派遣した。

第1次調査団2人はブーゲンビル島のタロキナ地区及び同島南部のブイン、シワイ、バナ地区で月21日から9月3日までの期間、残存遺骨に関する調査を実施した。

ブイン地区では本事業で今年1月に初めて訪問した際に治安の問題で入村が許可されなかったタバゴ村で事業説明を行った他、住民達の情報で旧日本軍の野戦病院跡を試掘し、歯の治療跡などから日本兵と判断される推定2柱を確認、収容した。

今回本事業で初めての訪問となるシワイ地区とバナ地区は、タロキナと同様ブーゲンビル島の激しい戦闘があった地域で、豪州戦争記念館に保管される資料や生還した戦友らの証言などにより、豪軍による戦場整理の一環で行われた集団埋葬の情報が多い地域である。調査団は今後の調査の基礎作りのため各村落を事業説明して周り、住民達に事業への理解を求めた。シワイ地区ではタイタイ、ママゴタ、ハイシ、バナ地区ではモシゲタを訪問した。日本人の訪問は戦友団体が遺骨収集の目的で再訪して以来で約四十年ぶりとのことであった。

今回調査団が受領した遺骨の推定総数は114柱で、現地の一時保管場所に安置し、今後政府主催の遺骨帰還収集派遣により日本へ奉還される。

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ブイン地区の試掘で発見したカメラ、ボタン等の遺留品と金歯や頭骨などの遺骨

 

第2次調査団2人はニューブリテン島ツルブ地区及びニューアイルランド島カビエン周辺で9月14日から9月28日までの期間、残存遺骨に関する調査を実施した。

ニューブリテン島では、ツルブ地区周辺の村に民泊しながら調査し、シカ村で平成25年から継続して遺骨を収容している埋葬地を村人55人が作業員として協力してくれ、2日間かけて収容作業を実施した結果、21柱を収容した。この他、バンバック村で村人が村の敷地内で発見し保管していた遺骨12柱、ワレモ村で1柱を確認した。受領した遺骨37柱は、西ニューブリテン州の博物館に安置した。

また、ニューアイルランド島では、現地のJICA青年海外協力隊の隊員から提供された情報に基づき、カビエン郊外の海岸部のパナカイス村で、船が撃沈され漂流していた遺体を村人が埋葬したと言われている場所を試掘し、波に侵食され海水に浸かってしまっている埋葬場所から遺骨を複数柱収容した。遺骨は村長の了解を得て、政府の遺骨収集帰還団が派遣されるまで、村のコミュニティホールの一室に安置している。

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シカ村の現地住民の協力を得ての収容作業

東部ニューギニア地域

【第4次派遣】

日本遺族会は、厚生労働省の委託事業である海外未送還遺骨情報収集事業の東部ニューギニア地域で、平成28年度第4次調査団2人をパプアニューギニア東セピック州へ派遣し、12月10日から24日の期間、残存遺骨に関する調査を実施した。

調査団は、今年度第1次調査団が調査した海岸部の村落を再度廻りマタパウ村で2柱を受領した。また、ボートでタラワイ島、ワリス島に渡り、過去に厚生労働省によって遺骨収集が行われたワリス島の埋葬地と思われる箇所を試掘したが遺骨の発見にはいたらなかった。

さらに、車両でヤンゴール、マプリック方面の山南地区を調査した。今回は、集中豪雨の影響で橋が流されるなど、道路状況の悪化により目的の村に到達できないこともあったが、タンゴリ村、ヌンゴリ村、ウルプ村、ハナク村で現地住民から寄せられた情報に基づき遺骨を発見、収容した。

今回受領した遺骨の総数は8柱で、ウエワクのニューウエワクホテルの一時保管場所に安置し、今後2月に予定されている遺骨収集派遣団により日本へ帰還する。

 

【第3次派遣】

日本遺族会は、厚生労働省の委託事業である海外未送還遺骨情報収集事業の東部ニューギニア地域第三次調査団をパプアニューギニアへ派遣し残存遺骨に関する調査を実施した。

 

 

東部ニューギニア地域第三次調査団二人は、十月二十九日から十一月十二日の期間、オロ州のブナ・ギルワ戦の戦場跡を中心に調査した。

調査団は、ゴナ、パサブア、サナナンダ、ギレオ、ブナ、エンダイデアの海岸線及びカプラハンボ、バゴーの内陸部の村落をボートと車両を利用して廻り、現地住民の協力を得て、埋葬地を試掘するなどして、遺骨の収容、確認に努めた結果、ブナで三柱、ギレオで十柱、サナナンダで五十三柱、カプラハンボで一柱、合計六十七柱を収容した。

この地域には本事業で過去にも調査団が複数回訪問しているが、激戦地であったことから地域内には日本兵の埋葬地が存在する一方、埋葬されずに埋もれた遺骨が散在するなど、今後も遺骨の収容が期待できる場所である。

また今回、厚生労働省が豪州戦争記念館、ニュージーランド国立公文書館で調査した資料に基づき、ゴナの日本兵埋葬地数カ所を特定するために現地住民に聞き取りをしたが、地球温暖化、洪水等の影響で地形が変化しており、該当する地域一帯は土砂が堆積して、埋葬場所を確認することができなかった。

今回同行した博物館員の鑑定により受領した遺骨はポポンデッタの一時保管場所に安置した。

 

【第2次派遣】

日本遺族会は、厚生労働省の委託事業である海外未送還遺骨情報収集事業の東部ニューギニア地域第2次調査団2人をパプアニューギニアのモロべ州へ派遣し、9月7日から9月21日の期間、残存遺骨に関する調査を実施した。

調査団は、ワウからサラモアに至る激戦地である、ボブダビ、カミアタムに民泊し、現地住民の協力を得て、かつて戦闘があった場所等を徒歩で廻り、遺骨情報の収集に努めた結果、一柱を収容した。また、事前にヘリコプターでムボに入り、日本軍の陣地跡の埋葬地の試掘を住民に依頼しておき、発見した遺骨を民泊先まで持参してもらい柱を受領した。この他、第五十一師団の転進経路であるサラワケット山系のムソンで三柱を収容した。さらに、南海支隊がオロ州マンバレ―からサラモアまで移動した経路をボートで踏査し、日本軍が駐留した村落等で事業を周知し、遺骨情報の提供を呼びかけた。今回同行した博物館員の鑑定により受領した遺骨はラエの一時保管場所に安置した。

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ムボ方面を踏査するヘリコプターからの光景

 

 

【第1次派遣】

日本遺族会は、厚生労働省の委託事業である海外未送還遺骨情報収集事業の東部ニューギニア地域第1次調査団2人をパプアニューギニア東セピック州及びサンダウン州へ派遣し、7月23日から8月6日の期間、残存遺骨に関する調査を実施した。

調査団は、東セピック州ではセピック河流域、ウエワク、ソワム周辺、サンダウン州ではマタパウ、アイタペ周辺を中心に調査し、現地住民から寄せられた情報に基づき遺骨の確認に努めた。また、本事業で初めてタラワイ島、ワリス島を訪問して、事業を周知し、情報の提供を呼びかけた。タラワイ島では、島民の案内で日本軍が駐留していたキャンプ跡地や日本兵埋葬地等を踏査し、小学校の敷地内で生徒が偶然遺骨を発見して埋め戻していた場所を掘り返して一柱を収容した。今回調査団が受領した遺骨の推定総数は12柱で、ウエワクの一時保管場所に安置し、今後政府主催の遺骨帰還収集派遣により日本へ奉還される。

 

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島民の協力を得てタラワイ島の小学校敷地内の遺骨を収容する=7月30日

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