きのう 〜遺族会の歩み〜

終戦後の戦没者遺族

昭和20年8月15日、4年におよんだ大東亜戦争は終わりました。
敗戦国となったわが国は、連合国の管理下で占領軍による新生日本の歩みが始まりました。
矢継ぎ早に出される指令の中で、戦没者遺族にとって大きな打撃となったのは「神道指令」でした。靖国神社が、国との関係を絶たれたのです。また、自治体の慰霊祭、追悼式も禁止され、恩給も停止され、社会的冷遇をうけました。きのうまで「誉の家」として尊敬された戦没者遺族は肩身の狭い思いをしました。とくに、一家の大黒柱を失い、年老いた父母を抱え、遺児を育てる戦争未亡人の方々の物心両面にわたる苦しみは、ひとしおでした。

立ち上がった遺族が団結

戦没者遺族は各地で連絡を取り合い、立ち上がります。
組織化へ向けての、動きです。戦没者遺族にたいする冷遇を是正したい。
それは、ひたむきな動きでした。悲痛な叫びです。会合が各地でもたれ、代表が東京に集まり、全国組織としての「日本遺族厚生連盟」を結成します。終戦から2年、昭和22年の11月でした。
そして、国会では「遺族援護に関する決議」、「未亡人並びに戦没者遺族の福祉に関する決議」があり、政府にも遺族援護の機運が高まります。

国が戦没者遺族の処遇再開

講和条約が発効し独立を回復した昭和27年、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が制定されます。戦後6年にして、遺族援護の途が開けました。国家処遇の再開です。政府主催の「全国戦没者追悼式」が行なわれるのも、この年からです。
その後、遺族会の事業を円滑にすすめるために法人格を取得。「財団法人 日本遺族会」(昭和28年3月)として出発します。
戦没者遺族の処遇改善だけでなく、英霊顕彰事業として首相・閣僚の靖国神社参拝の推進、遺骨収集への会員派遣、戦跡巡拝の実施のほか、国内および海外戦域での社会奉仕活動にも積極的に取り組んでいます。